いつものように大阪城で
プリン&ビール
バスの駐車場が満車で
バスが一般道にあふれています
今日はフォリナーの姿は少なく
日本人の団体が多数
大阪城を闊歩してました
秀子は口数少なく
プリンを食べてます
あと30日ほどで94歳です
秀子の幸不幸を確認する術はありません
斟酌 忖度することも出来ません
20年後 30年後
私が同じ扱いを受けたとして
それを了と出来るのか?
家族に対して「ありがたい」と思えるのか
物事の座標軸はそこなのか?
ファンデーションはそこに置くべきなのか?
いくら考えても正解のあることじゃないんですよね