バチについて

子どもの頃
母に「バチが当たるよ!」とよく言われました
バチ=罰と知ったのはそれから随分とあとの話


わたしたちには、自分でどうする事もできない、
思いの外からやってくる出来事があります。
おしゃかさまはそれを生老病死の「四苦」などとして
説きました。一方で、同様にわたしたちには
思いがけないところから齎されている沢山の
惠みがあります。太陽のひかりや水のひとつぶひとつぶ
日本という、それでもいまは安心の生活が出来る
生活、こういったものを「恩」とよびました。

そうしたどうすることも出来ないことがらと対して
私たちが生活のなかで恵みを与えていこうという
動きがあります。席をゆずるだとか、元気にあいさつを
するだとか、自分がしてもらってうれしい事を
だれかにしていくこと。これを私は「徳」と呼んでます。

徳は自分でするものです。だから善徳もあれば悪徳もある。
自分のこころ次第で如何ようにもなるのです。

それによって、自分に様々な形で返ってくるものがあります。
善徳によっては、あいて等から「恩」が返ってくるかもしれません。

しかし、悪徳によっては手痛いしっぺ返しがあるかもしれません。
こうしたことを「罰」と言えるのではないかと思います。

しかし、罰というものは元来仏教には存在しないものでもあります。

なぜならば全て私たちにもたらされるものは
「苦」だとしているからです。

それをわかっていれば、実はこころはそんなに動かされるものでは
ないとするのです。これを寂静といいます。

自分の為したことによってどのような形で返ってくるかはわかりません。
バタフライエフェクトといって、遠くで蝶々が羽ばたいたことで、
戦争が始まるということもあるのです。

すべては縁の為せるものです。自分がしてしまったほんのちいさな
事であっても、なにも起こらないことはない、
というのが縁というものです。

ですからわたしはこう思っています「あとはおまかせ♪」
わたしもきっとたくさんの悪いことをしているでしょう。
私は受け入れるだけです。すこしでもお返しできるように、
日々みなさまの幸いと、福がありますようにと祈っております。

あまりばちというものを気にせずに、気になったならば
徳、誰かへの祈りによる行いを致しましょう。
おまかせのきもちが芽生えて頂けたら幸いです。


善應寺(仙台市)のお坊さんの言葉
平易な言葉だけにちょっと味わい深い


バタフライ・エフェクト
http://movie.maeda-y.com/movie/00521.htm
本当に良い映画でした