神様からの贈り物?



よく言われる至ってありきたりな言葉ですが

痴呆が進んで自らが分からなくなることで

苦痛・悲しみ・不安を遠ざけるというのは

神様からの贈り物だと本当にそう思います


勿論想像の域は出ませんが

今秀子が自らのあるがままを寸分違えることなく

理解が出来ていたとするなら

耐え難い苦痛・屈辱・不自由さではないでしょうか

しかしながらそれを感じない”脳”になっているというのは

仏様が涅槃の畔で待つ者へのお心配りなのではないでしょうか

涅槃寂静”まさにそのものですね